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保育園調理師の「食」ブログ

現役保育園調理師が簡単おやつやご飯の紹介はもちろん、子どもとできる食育活動の紹介もしています。「食」にまつわることの多くを書き綴っていきます。

給食調理員が子どもの頃に食べていた「思い出のご飯」

皆さんは「思い出の味」ってありますか?

 

私は今現在「保育園の給食室」で働いているのですが、父親は味こそおいしかったのですが丼物など一品料理で「ザ・男の料理」を作る人でしたし、母(訳があって継母ですが)はそもそも料理が苦手でした。

 

私が子ども頃は、主に祖母(大正生まれ)の用意してくれた食事を食べで過ごしていたように感じます。祖母の料理は決して手の込んだものではありませんでしたが、私の中では「祖母の料理」が思い出に残っています。

今回は私の思い出ご飯について書いてみたいと思います。

 

 

祖母と言えば「ツナ」!?

私は祖母が60歳の時の初孫です。物心がついたときにはすでに60代半ばとなった祖母は、意外にも「ツナ缶」好き(?)でした。

 

ツナごはん

時短料理(?)です。

ご飯にツナをのっけただけのシンプルなご飯です。…が、私はこれが大好きでした。

実はいまだに好きです(笑)ツナがあれば実のところ他におかずがなくても平気です。

 

自身の子どもに「ツナごはんだけ」と言う食事を出したことはありませんが、子どもの頃の私はこれだけで大満足だったのが不思議…。いまだにツナごはんを食べると祖母を思い出します。

 

ほうれん草とツナのソテー

昔流行った(?)アニメ「ポパイ」にちなんでなのか、よくほうれん草のソテーを出してくれた祖母。もちろんここにもツナ。

 

私はほうれん草も好きでしたので「黄金の組み合わせ」だと思っていました(笑)

ただ、ほうれん草のお供はツナでないこともあり、「ほうれん草+卵」「ほうれん草+コーン」「ほうれん草+肉加工品」であることも。

祖母なりに「強く成長してほしい」という思いがあったのでしょうか?

 

たたみいわしを炙る

私が子どもの頃、当たり前のように常備されていた(と思っていた)「たたみいわし」。たたみいわしの産地は主に静岡県・神奈川県のようです。

当時の入手ルートは今ではもうわからないのですが、わが家は愛知県で生活をしていたので、都度買ってきたというよりは、親せきにいただいたものと考える方が自然ではないかと推測します。

 

そのたたみいわしをコンロの直火で炙ってもらい、そのままバリバリ食べるのが大好きでした。1度に2~3枚は食べていたと思います。

 

ここ最近になって知ったのですが、

「たたみいわしって高級品じゃない?」

と職場の人に言われたのです。

 

確かに調べてみると、5枚で680円~という値段でした。(2022年現在)当時の値段はわかりかねますが、思っていたよりお高い食品を惜しげもなくバリバリ食べていた幼児だった私…。今は亡き祖母にお詫びと同時に、一度も骨折をしたことのない強靭な骨ができたことへの感謝を伝えたいと思います。

 

 

桜ごはん

「桜ごはん食べる?」

と聞かれて、「食べる!!」と元気よく返事をしていたあの頃。

食べていたのはただのしょうゆをかけただけのごはんでした。

桜ごはんと共に出てきたのは「のり」以外思い出せませんが…。

 

桜ごはんとは

いわゆる醤油飯関東地方で言うところの茶飯(ちゃめし)、黄枯(きがら)茶飯の異称である。 東京では主におでんと共に食べられる[1]遠州地方浜松市周辺)ではさくらごはん、おさくらと呼ばれ、合格祈願縁起物として受験日の昼食に炊いて持っていくことがある。また学校給食に出され人気のメニューとなっている。

桜飯 - Wikipedia より一部抜粋

 

「桜ごはん+のり」の組み合わせは、子どもにとって「おいしい組み合わせ」に違いありません。大人になって「桜ごはん」を食べることは無くなりましたが、「のり」はいまだに好きです(笑)

 

さいごに

焼く・炒める・炙る・のせる…など、一見ズボラな料理しか作っていない(作れない)ようにも感じる祖母でしたが、当時60歳を超えていてもなお現役で仕事をしていました。

 

当時は私の父が離婚して子どもである私を引き取り、再婚前だったこともあって家事育児子育ては仕事の合間に祖母がおこなっていました。そのため、食事も簡単なものとなってしまっていたのだと思います。(祖母はワンオペ育児をしていました)

祖母はあくまで忙しかっただけであり、料理が苦手だったというわけではないと思います。なぜならば祖母の仕事が「従業員のまかないを作る仕事」だったからです。

 

とはいえ、幼いころに食べていた祖母の料理を↑このくらいしか思い出せないということは…やっぱり祖母は料理が苦手だったのでしょうか?

真相はもう知る由もありませんが、私にとっては思い出の味なのです。